①「街 路」
道路は住宅の基本中の基本です。
建築基準法では、幅員4m以上の道路に、間口2m以上接続することが定められていますね。
幅員が満たない場合、セットバックと称して下がって建築することが求められますが、この時点で良質失格です。
街路には、計画性、連続性がなくてはいけません。
これは見た目の美しさだけではなく、災害時に家族の身を守ることにも繋がります。
現状として郊外の分譲地では、路地において6mの幅員があればまずは合格と言えますが、この場合においても、壁面のバックをきちんと定め、将来にわたった景観、安全が確保されなくてはなりません。
北道路の並びが2~3m下がり、縦列ガレージや植栽ができる程度が好ましいことです。
街路樹として植えることには賛否がありますが、それ以前に各戸で思い思いの植栽で街区を飾ることが肝要でしょうね。
また最近、とみに言われることとして、いわゆる「バリアフリー」がありますね。
段差の解消、歩車分離(ラドバーン方式など)等々、対策の有無で分譲地の質に大きく影響する時代です。
「誰でも安心して住める優しい街」、今後の開発の基本中の基本です。
②「地形、環境」
本来、住宅適地というのはそうどこにでも転がっているわけではありません。
水田跡、湿地、崖地、商業地、交通輻輳地、工場近接地、こういうところに健康的な住宅が建てられるわけはありませんよね。
ところが、戦後の首都圏や近畿圏などでは住宅需給が逼迫し、それを吟味しているゆとりが皆無だったと言って良いでしょう。
今後、需給にゆとりが生まれる情勢において、まず駆逐されるべきはこうした過去の遺物としての不良宅地があげられます。
地形として最も理想的なのは、水はけの良い、南雛壇の緩やかな台地斜面か、堅固な地盤の平地(畑起源地)が挙げられます。
どうしても水田地に家を建てる場合には、支持層まできちんとパイルを打ち込むこと、地盤強化をしっかり行なうことです。
東武伊勢崎線や武蔵野線沿線など、敬遠されがちな地形が多いのですが、こうした対策をしっかり講じた家造りをすれば、今後のバリアフリー社会の観点から、もっと平地が見直されても良いのかもしれません。
関東近郊に良くある谷津地形においては、谷津のボトムはなるべく避けることです。 もともと水田起源ですから、対処は上記同様です。
住宅街の景観としては、やはり丘陵地が見栄えは良いですね。
③「日 照」
日照は極めて戸建住宅にとって重要な要素です。
一番安全なことは、高層の集合住宅などを近隣に建てられない「1低」のエリアを選択することがまず挙げられます。
マンションの反対運動など、用途地域指定後に買った人がやっているとしたら、とんだお門違いだと私は考えます。
住居系の用途地域においても、3階建てを建ててトラブルになったりする場合がありますから、やはり1低は良質の必要条件と言えるでしょうね。
道路付き(方位)については好みだと思いますが、北道路を選ぶ場合、建物南端から隣地境界線までは最低でも4mは確保することです。
最近の狭小戸建をみるにつけ、日照をまったく無視した建て方を結構地価の安いところほどやっているのが気にかかります。
隣地線と自己建物とのあいだ(犬走り)についても、高級住宅街などでは規制がしっかりしていますが、たちあがった時点で1スパン(尺モジュールで90センチ)以上の空きは絶対条件であり、建替えなどの際にも隣地に対する最低の礼儀と言えるでしょう。
まずは公法上の規制をしっかり見極めて物件を選ぶことが将来ともに良好な環境を手に入れる一番の近道でしょうね。
④「敷地面積」
戸建住宅の価格を大きく左右する要件がこの敷地面積の問題です。
広いに越したことはないのですが、大都市圏近郊の核家族にとって、70坪、80坪という面積が果たして必要かというと、実生活の上では無駄が多いように思います。
居住用小規模宅地の固定資産税の減免措置も、200㎡(60.5坪)以内に適用されますから、税制面からの考察もあってしかるべきですね。
良質を定義したとき必要充分な面積については、しっかりした建物を載せて、かつ防災上必要な道路からの下がり、隣地間のスペースをきちんと確保した上で論じられるべきです。
ガレージが1台か2台か、ガーデニングを趣味とするか否かなど、個別の嗜好・事情はありますが、私は60坪なら相当なゆとり、50坪が必要充分、45坪でまあまあ、40坪前後でぎりぎり合格、ざっとこのように考えます。
私がぎりぎりとした「40坪」というのは、日本の郊外住居のひとつのスタンダードになりつつあります。
03年4月、東京都町田市では1・2低エリアで130㎡(約39坪)以下に土地を分割することを条例ではっきりと禁じました。
この40坪が、防災、景観、そういう面で認知されるボーダーラインであり、監督官庁もこれからの郊外の街づくりの上でのひとつの指標として考えている、そう理解して良いと思います。
賛否はあると思いますが、だんだんと良質とそうでないものの線引きは出来ていくのだと思いますね。
(*現在、町田市に20以上の西郊の自治体が追従しています。しかし 東郊の動きはあまりに鈍すぎます)
産経新聞 2003/7/31 千葉版
柏駅前、30年ぶり再開発
国の支援を受け基本計画固まる . . 道路拡幅、高島屋も建て替え
柏市は三十日、国の都市再生特別措置法に基づく都市再生緊急整備地域に指定されたのを受け、約三十年ぶりに柏駅周辺の約二十ヘクタールを再開発する基本計画を固めた。当面、東口三区画、西口一区画を先行する。高島屋柏店を取り壊して幅員二十五メートルの都市計画道路を整備、同店は高さ制限を緩和して新築-などを盛り込んだ壮大な計画だ。
基本計画によると、東口約十五ヘクタールは四本の道路を拡幅。歩行者専用道路、ファッションアベニュー、アミューズメントアベニューなどと位置付け、文化施設、スポーツ施設、飲食店などを誘致して新しい商店街とする。これに大型複合店舗などの八つの核施設を配置する。また、ストリートミュージシャンや若者であふれるダブルデッキは新築して延長する。
西口の約五ヘクタールは、末広あけぼの線の幅員二十五メートルの都市計画道路を完成させるため、高島屋柏店を取り壊し、建物の高さ制限を緩和した上で新築してもらう。
柏駅周辺は、昭和四十六年に日本で最初の駅周辺再開発が都市計画決定され、大規模な再開発が行われた。以来“プチ渋谷”といわれるほど若者や買い物客が集まる街として発展。柏駅の乗降客は県内一の約三十二万人、商圏人口は約二百三十三万人にまで拡大した。
しかし、その陰で道路が狭いための交通渋滞や騒音、環境面での悪条件も加速。高度な再開発事業が地元住民、商工業者から強く求められていた。このため柏市は、都市再生特別措置法に基づき、六月十日に国の都市再生本部(本部長・小泉純一郎首相)に都市再生緊急整備地域の指定を申請。七月十八日に川崎市、さいたま市などとともに第三次指定地域として正式決定した。指定により、建ぺい率や容積率など既存の都市計画法が適用除外になり、認定民間事業者への金融支援、税制上の特例措置、認可処理期間の大幅短縮など大きなメリットがある。
計画は、「すべてが完了するまでには最低でも十五年はかかりそう」(都市緑政部)という壮大なものだが、東口の三地区、西口の一地区では、すでにまちづくり協議会や市街地開発準備組合が設立され、活発な活動を展開。中でも東口の柏そごう近くの第二地区再開発準備組合(野口英雄代表)は店舗、住宅、駐車場を中心とした計画が固まっており、十六年度に事業を立ち上げ、約七十億円かけて十八年度に完成させる予定で動き出している。
今回の再開発計画について本多晃市長は「柏市発展の原動力になった昭和四十六年の駅周辺再開発事業の延長線にある。長年、計画実現のため取り組んできたが、都市再生緊急整備地域の指定は各地区で進めている再開発事業に一段と弾みがつく」と、街の再生に期待をかけている。
引用元
http://www.sankei.co.jp/edit/kenban/chiba/030731/kiji01.html
自分の郷土愛を確固たるものにしたい、また自分の郷土愛が本物か偽物かを試したいのなら、なんのことはない。 東京の都心か山手線の西側に腰をすえて住むことです。
住む期間は5年くらいがいい。 最低でも2年は住むべきです。
住んでから半年~1年のあいだは、帰りたいという気持ちがよぎりがちになります。 しかし1年を過ぎると新天地が心身ともに馴染んきます。
試されるのはここからです。 新天地が心身ともに馴染んでくると元の地元のことにまるっきり関心がなくなってしまう。 帰っておいで、という言葉に傷つくようになる。 それほど東京の都心や山手線の西側の魅力、いや魔力は大きい。
筆者の経験では、とりわけ千葉や埼玉の新興住宅地の住民の場合、何らかのきっかけで東京の都心か山手線の西側に引っ越す機会を得た人が、元の地元に戻りたい。と考える割合は、ほとんどゼロ。
帰りたくないの・・・?と聞くと 顔をひきつらせるのです。 千葉や埼玉のばあい、元の地元に郷愁の念を抱く人が10人に1人くらいいればいいでしょう。
しかし筆者は言いたい。 だからこそ、自分の郷土愛を強くしたい、試したいのなら腰をすえて東京の都心か山手線の西側に住むべきだ、と。
地元に住みつづけていては、己の郷土愛が東京の都心や山手線の西側に持っていっても揺るぎのない本物なのか、それとも誘惑の前に揺らいでしまう偽物なのかの見分けがつかない。
東京の都心や山手線の西側に引っ越して郷土愛が揺らぐような人物が柏の指導層にいるばあい、その人物は大変に有害です。 ところがそうした人間ほど郷土賛美にあけくれているのです。 もちろん、郷土愛の脆弱さの裏返しのためです。
こうした人間は自己批判ができません。 もし自己批判をしたら自尊心が崩壊し自虐へと一挙に進むからです。
東京の都心や山手線の西側に引っ越しても郷土愛を失わない者こそが、揺ぎない郷土への思いを抱き、かつ郷土を厳しく評しても自虐に陥らない最高の人材なのです。
東京の都心や山手線の西側など憎たらしい、あんな所に住むなど吐き気がする!と強がる人にも言いたい。
筆者も都心や山手線の西側の連中に対しては憎んで余りあります。 彼らはことあるごとに馬鹿にしてきたからです。 殺意さえ覚えます。 今でも。
だからといって都心や山手線の西側なんかには絶対に住まない、歯を食いしばって死ぬまで地元に住みつづけるぞ! と考えるのは狭量な発想です。
憎いなら、なおさら都心か山手線の西側に住んでみるべきです。 自分の郷土愛の強さに自信があるのなら、なおさらです。
旧住民の有力者の皆さんにも最低2年~できれば5年は東京の都心か山手線の西側に住んでみてほしい。 ご自身がいろいろの事情でムリならご子息を住まわせるのです。
2年もすればきっとあなたの息子・娘は帰りたがらなくなる。 そんなご子息はコネでもなんでも使って東京の会社に押し込んでやればきっと満足するでしょう。
もし運良く郷土愛揺ぎない息子・娘がいたなら、さらに数年は東京の会社で修行をさせてから呼び戻し、若い年で大きな仕事を任せるべきです。 必ず目に見える成果を出してくれますから。
これからの柏の指導者には東葛ローカル、常磐線沿線ローカルでしか通用しない人材は不要です。 そんな人物には単純労働をさせておけばいい。
これからの柏の指導者は中央の政財界でも通用することを絶対条件にしていかなければなりません。
(侮辱や差別というものは永遠になくなりません。 侮辱や差別という行為そのものを無くそうなどと露にも思わないことです。 無理に無くそうと考えると結局怪しげな政治運動に利用されるだけです)
・・・ 阿Qはしばらく佇んでいたが、心の内で思った。 「俺様はつまり子供に殴られたんだ。 今の世の中は全く成っていない…」 そこで彼も満足し勝ち誇って立ち去る。 ・・・ 《魯迅『阿Q正伝』》
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【魯迅が批判した中国人の民族的病根】
魯迅が著した『阿Q正伝』の中の阿Qは、貧しい農民というよりは浮浪者であり、自分の名前さえ漢字で書けない。
他人にいつも馬鹿にされている彼が編み出した勝利の方法が“精神的勝利法”であった。心の中で相手に対して一方的に勝利を宣言するというものである。
阿Qのこのありさまはまさしく、19世紀以来の中国の欧米に対する姿勢そのものであった。 欧米に敗北し蹂躙されておきながら、中華思想から脱しきれず、欧米に対する精神的優位に浸ろうとする中国。
魯迅は阿Qという奴隷根性をもった農民を描くことで、中国の近代史が背負ってきた“奴隷根性”を痛烈に批判したのだ。
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【“精神的勝利法”とは】
“精神的勝利法”についてもう少し詳しく述べよう。
無力な自分、と言う現実を拒んで精神的勝利を求め、自分に屈辱を味わわせた連中に対しても精神的優位に立とうとして意地悪な考えを持つ。挙げ句の果てにそうやって、なけなしの誇りを守ったことに対して絶対的な評価と賞賛を自分に与える。
負けを認めない強情さは、ある意味たいしたものかもしれない。しかし現実での実行を伴わない精神的勝利法でもって現実を克服、あるいは粉塗しようとする姿勢は、実は精神的基盤の軟弱さ、自我の脆弱さの裏返しにすぎない。
精神的勝利法に逃げるのはいいとしても、皆を見下すことによって、逆に自分を評価しようとする、そうした逃げの姿勢でしか現実を克服できない者は歪んでいく。
そして残酷な現実に打ちのめされる時がくる。
そういう精神的危機に直面した時、自分をごまかしていては、真の成長は望めない。誰だって、挫折をする。負けは負け、現実は現実だとしっかり認めた上で、克服するか、回避するかを決めればいい。道はひとつではないが、しっかり踏みしめて歩いていけばいい。
が、精神的に現実をごまかして、負けたのに「勝った」、挫折をしたのに「世の中が悪いんであって自分は挫折したわけではない」などと現実を捻じ曲げてまでその虚ろな道を歩きつづければ、いつかその歪みは耐え難いものになり、冷酷な現実による容赦のない清算の時を迎えることになる。
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【『阿Q正伝』を地で行った松戸、野田】
松戸、野田がそうであった。彼の町の有力者たちはみな、“阿Q”だった。
東京西郊住民にさんざん侮辱されておきながら、地元中華思想・地元中心の天動説から脱しきれず、東京西郊住民に対して精神的優位に浸ろうとして強がってきたのが松戸、野田であった。
曰く、…「東京山の手に住んでいる奴等のほとんどは地方出身者だ」「東京山の手に住みたがる奴等ほど田舎者だ」「千葉の良さをわからない奴等こそ逆に可哀想じゃないか」「貧乏人や低学歴をバカにするのは下らない、ケチくさい矜持でしかない」…等々。
また曰く、…「東京山の手に劣等感を抱くことは恥ずかしい」「もっと地元に目を向けろ」「山の手のモノマネをして恥ずかしいと思わないのか」「もっと自分の町らしさを追求してゆくべきだ」「山の手でも下町でもない、自分の町らしさを目指すべきだ」…等々。
…そしていま、松戸、野田は、衰れきった惨めな姿をわたしたちの前に晒している。さらに手に負えないことには彼の町の有力者たちは今でもみな、“阿Q”である。
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【冷静沈着としていた柏】
柏の有力者たちは違った。東京西郊に対する劣等感を素直に認めていた。また柏は偏見に怒りつつも、なぜ偏見が生まれるのか、どうすれば偏見を無くすことができるかを考えた。
柏は自己が中華思想、天動説、夜郎自大、自惚(うぬぼ)れに溺れることを強く戒め、柏の置かれた惨めな立場から決して目をそらさなかった。
こうした松戸、野田と柏の対照的な態度が今日の差となってあらわれたのである。
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【近年の柏の増長・うぬぼれ】
しかし最近の柏はどうだろう。近年の成功にすっかりのぼせ上がってはいまいか。以下はある柏市民の評論の要約である。
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> わずか10年前、柏のテナントビルにショップを誘致しようとしても柏の知名度の低さから入居させるのに大変難航した。「かしわ?アントラーズの本拠地?」とまで言われたほどだった。
> もちろん10年前から柏駅周辺は常磐線沿線で随一の賑わいがあった。吉祥寺を生活圏とする人が初めて柏を訪れてあまりの人波に驚いていたぐらい賑わってはいたが、東京都民あるいは全国の人たちもそれを知ることがなかった。
> しかしこの状況は10年間で劇的に変化したのだ。
> これは一に柏のイメージを発信し続けたことによる。『柏レイソルの街』『東の渋谷』『若者の街』『ストリートミュージシャンの聖地』…。たびたびマスコミに採り上げられるようになった。
> こうしたイメージの発信は自然発生的なものもあるが、ある程度意識的に発信してきたことも大きく貢献している。具体例を挙げれば“柏ストリートブレーカーズ”による現在も続けられているによる一連のパフォーマンスは変化を止めることで街が陳腐化することを防ぐ目的をもっている。
> そしてこうしたイメージの発信が相乗効果を生んで、いまや通りから一本裏に入ったところまで古着屋やアクセサリーショップが店を出すようになった。
> 行政とのコラボレーションで、この10年はソフト事業先行で柏のイメージアップが図れた。
> 東京都民・神奈川県民の偏見など意に介することではない。それより問題は柏がどれだけ変化を続けていけるか、また柏をどのような街にしたいのかというグランドデザインを描けるかだ。
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…10年ほど前までの柏に対する評価が厳しいのに対し、現在の柏に対する評価は自画自賛そのもの。まったく対照的であることがお分かりいただけるだろう。
そして困ったことに柏の有力者のほとんどがこの調子なのだ。たしかによくここまで来たと誇るのは当たり前のこと。嬉しいのは当然だし、はしゃぎたい気持ちもわかる。しかし今の柏に蔓延する自己評価は“誇り”を通り越して、単なる“自惚れ”である。
“誇り”と“自惚れ”は似て非なるものである。嬉しいのはわかるが、増長しだしたら転落への一里塚を通過してしまうのだ。
柏が自画自賛するにはまだ早すぎる。“柏のお洒落な評価”など未だに常磐線沿線ローカルに限定されており、この評価が外部ではまったく通用しない現実から決して目をそらしてはならない。
柏の自画自賛は常磐線沿線ローカルでは反感を買う。しかし外部では失笑を買うだけである。それが冷酷な現実なのだ。
自己の評価などいくらでも良く評価できる。人や物の評価は他者による評価こそが全てである。
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【“偏差値40からの大学受験”】
・・・ 成績の悪い学生が勉強をして成績がトップになった。やがて「ねえねえ、僕ってこんなに物知りなんだよ、頭いいんだよ」と言わんばかりに知識をこれ見よがしにひけらかす。
しかし彼はいわゆる底辺校、バカ学校で成績トップになったに過ぎなかった。目覚しい成績の伸びは学校外でも少し評判にはなったものの、全体でみれば中ぐらいにすぎない。
ところが彼はその単純な事実に気がつくほどの能はなかった。社会全般ではまだまだバカにされる範疇にいるのに、彼はそれで満足してしまっていた。・・・
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…はっきり言ってこれでは“バカの一つ覚え”である。しかし、柏はまさにこの学生と同じになってはいないだろうか。
“偏差値40からの大学受験”という言葉があった。東京圏における東葛全般はまさしく“偏差値40”といえただろう。
その中で柏だけがこの10年ほどで頭一つ抜け“偏差値50”くらいにはなった。それはここ2~3年の地価動向に如実に反映されている。
しかしそれで満足したらそれでお終いである。しょせんその程度で終わってしまうのだ。
“偏差値40”と“偏差値50”では大きな開きがある。しかしたいていの人はその差など気にも留めない。 口にはしないが目くそ鼻くそだと一緒くたにバカにしている。
柏は“偏差値60”、すなわち千葉であっても住んでいて馬鹿にされることのない舞浜・新浦安や幕張ベイタウン並の評価を得ることを目指さねばならない。
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【柏よ、“阿Q”になるなかれ】
千葉でありながら浦安や幕張は、鎌倉や国立と同格の地位に達している。千葉であることは確かに足枷だが、浦安や幕張は「千葉でも浦安や幕張は例外扱い、千葉であって千葉じゃない」といわれるほどに成長したのだ。
浦安や幕張は住宅地としての成功例である。しかし住宅地でできたのなら必ず商業地でも成功し「千葉でも柏は例外扱い、千葉であって千葉じゃない」と言われるほどの高みに達することはできるはずだ。
そのためには現在の地位で満足してはならない。道のりはさらに遠くなる。しかし手に届かないところではない。気持ちの持ちよう次第で“偏差値60”は実現できる。
柏はいまだ常磐線沿線から1歩出ればからかい、物笑いの対象だ。その悔しさを決して忘れてはならない。胸に刻まなければならない。この耐えがたい辱めを雪(そそ)ぐべく、今一度気を引き締めなければならない。
柏よ、“阿Q”になるなかれ。
朝日新聞3月26日朝刊千葉版
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柏と我孫子市で「柏ナンバー」を
県に要望へ
自動車の「柏ナンバー」実現を目指す柏市の本多晃市長は25日、柏ナンバーの対象地域を柏と我孫子の2市として、県へ要望を出す方針を明らかにした。
柏市は当初、流山市も含めた3市で運動を進めることを検討したが、流山市には野田ナンバーや松戸ナンバーを望む声もあったことから、2市に対象を限定した。
一方で、柏と我孫子の市民を対象に郵送アンケートをした結果、柏ナンバー導入について柏では回答者2007人の93%、我孫子では同911人の89%が賛成した、という。また両市議会は、3月定例会でともに「柏ナンバーの実現を求める決議」を賛成多数で可決した。
本多市長は、国交省が要綱で定めた住民の意向確認もできたとして、「柏ナンバーの実現の可能性が高まった」と話している。