・・・ 阿Qはしばらく佇んでいたが、心の内で思った。 「俺様はつまり子供に殴られたんだ。 今の世の中は全く成っていない…」 そこで彼も満足し勝ち誇って立ち去る。 ・・・ 《魯迅『阿Q正伝』》
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【魯迅が批判した中国人の民族的病根】
魯迅が著した『阿Q正伝』の中の阿Qは、貧しい農民というよりは浮浪者であり、自分の名前さえ漢字で書けない。
他人にいつも馬鹿にされている彼が編み出した勝利の方法が“精神的勝利法”であった。心の中で相手に対して一方的に勝利を宣言するというものである。
阿Qのこのありさまはまさしく、19世紀以来の中国の欧米に対する姿勢そのものであった。 欧米に敗北し蹂躙されておきながら、中華思想から脱しきれず、欧米に対する精神的優位に浸ろうとする中国。
魯迅は阿Qという奴隷根性をもった農民を描くことで、中国の近代史が背負ってきた“奴隷根性”を痛烈に批判したのだ。
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【“精神的勝利法”とは】
“精神的勝利法”についてもう少し詳しく述べよう。
無力な自分、と言う現実を拒んで精神的勝利を求め、自分に屈辱を味わわせた連中に対しても精神的優位に立とうとして意地悪な考えを持つ。挙げ句の果てにそうやって、なけなしの誇りを守ったことに対して絶対的な評価と賞賛を自分に与える。
負けを認めない強情さは、ある意味たいしたものかもしれない。しかし現実での実行を伴わない精神的勝利法でもって現実を克服、あるいは粉塗しようとする姿勢は、実は精神的基盤の軟弱さ、自我の脆弱さの裏返しにすぎない。
精神的勝利法に逃げるのはいいとしても、皆を見下すことによって、逆に自分を評価しようとする、そうした逃げの姿勢でしか現実を克服できない者は歪んでいく。
そして残酷な現実に打ちのめされる時がくる。
そういう精神的危機に直面した時、自分をごまかしていては、真の成長は望めない。誰だって、挫折をする。負けは負け、現実は現実だとしっかり認めた上で、克服するか、回避するかを決めればいい。道はひとつではないが、しっかり踏みしめて歩いていけばいい。
が、精神的に現実をごまかして、負けたのに「勝った」、挫折をしたのに「世の中が悪いんであって自分は挫折したわけではない」などと現実を捻じ曲げてまでその虚ろな道を歩きつづければ、いつかその歪みは耐え難いものになり、冷酷な現実による容赦のない清算の時を迎えることになる。
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【『阿Q正伝』を地で行った松戸、野田】
松戸、野田がそうであった。彼の町の有力者たちはみな、“阿Q”だった。
東京西郊住民にさんざん侮辱されておきながら、地元中華思想・地元中心の天動説から脱しきれず、東京西郊住民に対して精神的優位に浸ろうとして強がってきたのが松戸、野田であった。
曰く、…「東京山の手に住んでいる奴等のほとんどは地方出身者だ」「東京山の手に住みたがる奴等ほど田舎者だ」「千葉の良さをわからない奴等こそ逆に可哀想じゃないか」「貧乏人や低学歴をバカにするのは下らない、ケチくさい矜持でしかない」…等々。
また曰く、…「東京山の手に劣等感を抱くことは恥ずかしい」「もっと地元に目を向けろ」「山の手のモノマネをして恥ずかしいと思わないのか」「もっと自分の町らしさを追求してゆくべきだ」「山の手でも下町でもない、自分の町らしさを目指すべきだ」…等々。
…そしていま、松戸、野田は、衰れきった惨めな姿をわたしたちの前に晒している。さらに手に負えないことには彼の町の有力者たちは今でもみな、“阿Q”である。
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【冷静沈着としていた柏】
柏の有力者たちは違った。東京西郊に対する劣等感を素直に認めていた。また柏は偏見に怒りつつも、なぜ偏見が生まれるのか、どうすれば偏見を無くすことができるかを考えた。
柏は自己が中華思想、天動説、夜郎自大、自惚(うぬぼ)れに溺れることを強く戒め、柏の置かれた惨めな立場から決して目をそらさなかった。
こうした松戸、野田と柏の対照的な態度が今日の差となってあらわれたのである。
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【近年の柏の増長・うぬぼれ】
しかし最近の柏はどうだろう。近年の成功にすっかりのぼせ上がってはいまいか。以下はある柏市民の評論の要約である。
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> わずか10年前、柏のテナントビルにショップを誘致しようとしても柏の知名度の低さから入居させるのに大変難航した。「かしわ?アントラーズの本拠地?」とまで言われたほどだった。
> もちろん10年前から柏駅周辺は常磐線沿線で随一の賑わいがあった。吉祥寺を生活圏とする人が初めて柏を訪れてあまりの人波に驚いていたぐらい賑わってはいたが、東京都民あるいは全国の人たちもそれを知ることがなかった。
> しかしこの状況は10年間で劇的に変化したのだ。
> これは一に柏のイメージを発信し続けたことによる。『柏レイソルの街』『東の渋谷』『若者の街』『ストリートミュージシャンの聖地』…。たびたびマスコミに採り上げられるようになった。
> こうしたイメージの発信は自然発生的なものもあるが、ある程度意識的に発信してきたことも大きく貢献している。具体例を挙げれば“柏ストリートブレーカーズ”による現在も続けられているによる一連のパフォーマンスは変化を止めることで街が陳腐化することを防ぐ目的をもっている。
> そしてこうしたイメージの発信が相乗効果を生んで、いまや通りから一本裏に入ったところまで古着屋やアクセサリーショップが店を出すようになった。
> 行政とのコラボレーションで、この10年はソフト事業先行で柏のイメージアップが図れた。
> 東京都民・神奈川県民の偏見など意に介することではない。それより問題は柏がどれだけ変化を続けていけるか、また柏をどのような街にしたいのかというグランドデザインを描けるかだ。
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…10年ほど前までの柏に対する評価が厳しいのに対し、現在の柏に対する評価は自画自賛そのもの。まったく対照的であることがお分かりいただけるだろう。
そして困ったことに柏の有力者のほとんどがこの調子なのだ。たしかによくここまで来たと誇るのは当たり前のこと。嬉しいのは当然だし、はしゃぎたい気持ちもわかる。しかし今の柏に蔓延する自己評価は“誇り”を通り越して、単なる“自惚れ”である。
“誇り”と“自惚れ”は似て非なるものである。嬉しいのはわかるが、増長しだしたら転落への一里塚を通過してしまうのだ。
柏が自画自賛するにはまだ早すぎる。“柏のお洒落な評価”など未だに常磐線沿線ローカルに限定されており、この評価が外部ではまったく通用しない現実から決して目をそらしてはならない。
柏の自画自賛は常磐線沿線ローカルでは反感を買う。しかし外部では失笑を買うだけである。それが冷酷な現実なのだ。
自己の評価などいくらでも良く評価できる。人や物の評価は他者による評価こそが全てである。
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【“偏差値40からの大学受験”】
・・・ 成績の悪い学生が勉強をして成績がトップになった。やがて「ねえねえ、僕ってこんなに物知りなんだよ、頭いいんだよ」と言わんばかりに知識をこれ見よがしにひけらかす。
しかし彼はいわゆる底辺校、バカ学校で成績トップになったに過ぎなかった。目覚しい成績の伸びは学校外でも少し評判にはなったものの、全体でみれば中ぐらいにすぎない。
ところが彼はその単純な事実に気がつくほどの能はなかった。社会全般ではまだまだバカにされる範疇にいるのに、彼はそれで満足してしまっていた。・・・
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…はっきり言ってこれでは“バカの一つ覚え”である。しかし、柏はまさにこの学生と同じになってはいないだろうか。
“偏差値40からの大学受験”という言葉があった。東京圏における東葛全般はまさしく“偏差値40”といえただろう。
その中で柏だけがこの10年ほどで頭一つ抜け“偏差値50”くらいにはなった。それはここ2~3年の地価動向に如実に反映されている。
しかしそれで満足したらそれでお終いである。しょせんその程度で終わってしまうのだ。
“偏差値40”と“偏差値50”では大きな開きがある。しかしたいていの人はその差など気にも留めない。 口にはしないが目くそ鼻くそだと一緒くたにバカにしている。
柏は“偏差値60”、すなわち千葉であっても住んでいて馬鹿にされることのない舞浜・新浦安や幕張ベイタウン並の評価を得ることを目指さねばならない。
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【柏よ、“阿Q”になるなかれ】
千葉でありながら浦安や幕張は、鎌倉や国立と同格の地位に達している。千葉であることは確かに足枷だが、浦安や幕張は「千葉でも浦安や幕張は例外扱い、千葉であって千葉じゃない」といわれるほどに成長したのだ。
浦安や幕張は住宅地としての成功例である。しかし住宅地でできたのなら必ず商業地でも成功し「千葉でも柏は例外扱い、千葉であって千葉じゃない」と言われるほどの高みに達することはできるはずだ。
そのためには現在の地位で満足してはならない。道のりはさらに遠くなる。しかし手に届かないところではない。気持ちの持ちよう次第で“偏差値60”は実現できる。
柏はいまだ常磐線沿線から1歩出ればからかい、物笑いの対象だ。その悔しさを決して忘れてはならない。胸に刻まなければならない。この耐えがたい辱めを雪(そそ)ぐべく、今一度気を引き締めなければならない。
柏よ、“阿Q”になるなかれ。